3・11 ~東日本大震災~
2011・3・11 東日本大震災が発生した日。
震災当日、私は仕事をしていました。東北で大きな地震が発生したと聞き、知り合いがいたので連絡をしたけど連絡が取れず、不安になっていると津波警報が出て、全員で屋上に避難をしました。その時に携帯で見る映像が何なのか、何が起きているのか、同じ日本で起きているのか何が何だか分からず…実感したのは帰ってテレビを見てからでした。連日テレビで流れる津波の映像、どんどん増えていく亡くなった方の数、原発の映像。
そんな時、ある方から被災地にボランティア行くと聞き、何も役に立たないかもしれない、けど実際に自分の目で被災地を見るのと見ないとでは違うと思い、震災の1年3か月後、2012年6月に被災地へ行きました。
ほとんどが何もない平地。自分の住み慣れた場所が一瞬で奪われてしまった方の気持ちを考えるとあまりにショックで言葉が出ませんでした。ところどころにがれきが集まっていましたが、その後の作業が進んでいない状況でした。
南三陸町の防災庁舎。津波が来るギリギリまでここに残り、防災無線で必死に住民に非難を呼びかけた女性職員の方がいたそうです。この無線のおかげで高台に避難して、助かった住民が多かったそうです。見て分かるように屋上まで津波は到達しました。
南三陸町の消防署の方に、当時のお話を聞くことができました。仲間を震災で亡くした話、壮絶だった当時の状況。
『もし津波が起きたら距離じゃなくて高さです。高い所へ避難してください。』
実際に経験をされた方からの言葉。今も大きく記憶に残っています。
車で回っている時も、ここまで本当に津波が来たの?というぐらい、海から離れた場所まで津波が押し寄せていました。その証拠が潮で枯れた木々たち。山の上まで津波で上がっていた車も見ました。自然災害の恐さを感じました。
私たちは南三陸町で、家があった場所に埋まった物の撤去作業を行ったのですが、写真、茶碗、服、子供のおもちゃ…たくさんの物が出てくる度に、ここに確かに生活があったんだと感じました。その場所から眺めた海がすごくきれいで、すごくおだやかな波で。この海が沢山の命を奪っていったのか…と複雑な気持ちになったのを覚えています。被災当日その日まで、その時間まで普通に幸せに過ごしていたみなさんの生活が一瞬で消えていったんだと胸が締め付けられる思いでした。
2泊3日のなかで、私たちが出来たことはほんの少しでした。
帰りにふと視線を下に落とすと、四つ葉のクローバが咲いていました。お守りとして大切に保管しています。
少しずつ復興している町、なかなか進まない町。復興が進んでいると感じている被災地の方の割合は3割だそうです。復興まで長い道のりだと思います。3・11東日本大震災を忘れてはいけません。
想像できない恐怖、悲しみを味わい、大切な家族、友人、恋人を亡くした方、自らの命を顧みず命を投げ出した殉職者の方々。実際に起きたこの事実を風化しないようにすることが大切だと思います。私なりに少しでも何かできることを見つけていきたいです。
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