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「今日のおだいっさん」vol.2

皆様こんにちは。

ひまわりの状況報告のブログを初めてアップさせていただいた時の向井です。今日は2回目のブログを書かせていただきます。

 

さてさて、昨日より始まりましたこのシリーズ。

高鍋大師花守山に関する色々な事をお伝えしていくシリーズとなっております。

みなさん、突然ですが高鍋大師といえば何をイメージします?      

 

 

 

 

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そう。ほとんどの方が↑の写真のような石像を思い浮かべるんではないでしょうか。  

 

そこで今日は、高鍋大師を語る上でこの方なしでは語れない!石像群の生みの親、故・岩岡保吉さんをご紹介したいと思います! 

 

この理由を知ったうえで大師の石像を見ると、また違う視点で見れると思います。 では説明していきます。

 

 

高鍋大師の石像を造った人物は岩岡保吉さん。明治22年に香川県で生まれ、7歳の時に高鍋に引っ越してきました。 元々は高鍋の方ではなかったんですね。 19歳の時に米穀販売を手がけたところ、商売が大繁盛。順風満帆の日々を過ごされたそうです。そんななか、29歳で四国拝礼へ出発。このことがきっかけで88カ所の霊場を高鍋に造ることを決意し、43歳で現在地に土地を購入します。大分から招いた石工仏師に石像を制作させ、岩岡さん本人も石像造りを学び、88体の石像を完成させています。その後、高野山で得度。一方で持田古墳の盗掘に心を痛め、古墳の霊を鎮めるために石像造りに励み、自由な発想で700余基を作成しました。享年87歳でした。

 

 

どうでしたか?? 本当はもっと書きたい事はたくさんあります。が、あまり長ったらしく説明を続けると読んでる方に飽きが来て途中で他のページに行かれてしまう可能性が・・・。

 

ということでものすごく簡単に説明致しました。

 

高鍋大師に行かれた事のない方、行ったことはあるけどなぜこのような石像を造ったのか分からなかったという方も足を運んだ際には自分なりに岩岡さんの気持ちになり、考える事ができると思います。 この観光協会に入り、高鍋大師に足を運ぶ機会が多くなり、石像達と顔を合わせる事が増えました。天気のいい日に高鍋大師からの景色はホントに綺麗で、悩みや疲れ、色々あるとは思いますが、心が癒される場所だと僕自身感じています。  

 

ここで最後となりましたので、わたくし向井のお勧めする素晴らしい景色をお見せします!!        

 

 

 

 

 

ど ん!!    

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いかがでしょうか。時間があるときに是非行かれてみてはどうでしょう?

 

 

  それではこの辺りで失礼します。

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